沿革
更新日:2019年03月05日
木曽地域は、有史以前のものとみられる様々な遺跡が点在しており、古くから人類が住んでいたといわれています。
しかし、国史に登場するのは8世紀初め。『続日本紀』では大宝2年(702年)に「初めて岐蘇山道を開く」、和銅6年(713年)に「美濃・信濃二国を結ぶ径道は険しく往還が困難なため吉蘇路を通ず」と記されています。そこから、このあたりが東山道の重要な位置にあったことがわかります。
交通の要所としての軍事的価値と、大森林を擁するという経済的価値を背景として2つの荘園が成立します。
1つは、宮ノ越を中心とした大吉祖(おおぎそ)荘、もう1つは現在の大桑村を中心とした小吉祖(おぎそ)荘。小吉祖荘は当時の中央の有力貴族や寺院の所領でした。
平安末期には、木曽の豪族中原兼遠(なかはらのかねとお)に擁立された木曽義仲が平家追討の兵を挙げたことにより、木曽の名は一躍全国に知られます。
そして時代が下がり、江戸時代から明治維新まで尾張藩の領するところとなりました。維新後は名古屋県となり、明治4年(1871年)筑摩県に編入。明治7年12月には、須原・長野・殿・野尻村が合併して大桑村となりました。
しかし、明治14年3月には財産区分の問題などが原因で、もとの4か村に分村。そして明治22年4月の新町村体制によって再び合併し、今日の大桑村が誕生したのです。
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大桑村役場 総務課 総務係
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